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■情報って何だろう [Misc]

仕事を進めていく上で、情報は武器のひとつだし、これをどう扱うかで、
仕事のよしあしが決まってくることは多くあると思います。

自分が手にしている情報は必要充分なものなのかという不安は私は常に感じています。


NHKの特集番組で大学の講義でウィキペディアの使い方を教えている光景を見ました。
それは学生がウィキペディアに書かれていることが正しいと信じて、レポートなどを書いてくることがあり、ウィキペディアの信頼性がどのレベルかということを理解させるためのものだということでした。

私にとっては驚きです。

そこにある便利なものがどんな背景で存在してるか、という疑問を持たずに、
便利だから使うという発想なのだろうと推測できたからです。
たとえば、人づてに聞いた話だったら、話をしてくれた人を信頼できるかどうかで、
その情報を信じるかどうかを決めるでしょう。
日経新聞に書いてあることと、東スポに書いてあることのどちらを信じるかは、
やはり今までそれぞれが扱ってきた記事によるのかもしれません。

情報はやはりソースが命だと思うのです。

きっと学生たちはどんな人がウィキペディアを編集しているか、管理しているか、
知らないのでしょう。
だから、授業で自分たちでも編集できることを大学で教えているのです。

何でも簡単に手に入る時代だからこそ、それが正しいのかどうかを見極める目も
私たちには必要なのかも知れません。

そんなことを考えながら、事業仕分けの報道を見ていた母の言葉を聴いて、
また、考えさせられることがありました。

それは米軍基地で働いている人の給料の話でした。
犬の世話をする人にいくら払っているといったような内容でした。
母はつかさず、「何で犬の世話をする人にそんなに給料を払うの?」と
つぶやきました。確かに私も同じようなことを感じましたが、
そう思わせようというマスコミの意図がちらほら見えるような気もしてきたのです。

情報は「犬の世話」と「給与」だけです。
世話する犬の種類や頭数、世話とはいったいどの範囲なのか、
働いている日にちは何日なのか、そういった情報は一切ありません。
もしかして詳しく聞いてみたら妥当な金額だと思うのかもしれません。

判断するには情報が足らないのです。
それでも人はその切り取られた情報を元に判断をしてしまう生き物なのでしょう。

この情報は本当に正しいものか。
この情報は物事を判断するのに充分なのか。

そんなことを意識しながら仕事をしていきたいと思う出来事でした。

■そんなにシャイなの? [Misc]

今日は仕事以前の気になった出来事について書いてみようと思います。

私は毎日、殺人的な満員電車に乗っています。
辟易するけれど、今はそれしか手段がないので諦めています。
ひとつだけ許せない事を除けば。
それは、無理やり人を押しのけて降りようとする人々です。

もちろんとても混雑していて、降りようとしてもなかなか降りられません。
でも、なぜ、そんな時、私たちは一言声をかけることができないのでしょうか?
たとえば、「降ります」といってもらえれば、その人を通してあげようとするでしょう。なのに、力いっぱい押しのけようとする人の方が圧倒的に多いのです。

会社のエレベータでも同じです。
混んでいるエレベータの奥から降りるとき、一声かけるのではなく、
体で押しのけようとする人の方が多いのにうんざりします。

こういう普段の行動はもちろんビジネスでも同じようににじみ出てくると思うのです。
相手に一声かけておけば調整がスムーズにいくのにも関わらず、自分のやりたいことをいきなり押し通そうとする人を多く見かけるようになりました。

昔から日本人はシャイだといわれていますが、これは行きすぎじゃないのでしょうか。
本当に些細なことですが、社会でのマナーとしてどう振舞うべきかを考えたいと思う出来事でした。

■システムを刷新する事の意味 [Misc]

ここ数年、グループウェアバージョンアップやリプレースを多く手がけてきた。
結論として私が感じているのは、ユーザーがシステムを変えるときの目的を意識すべきだということ。

サポートが切れるから、ほかのソフトウェアを使うと幸せになれそうだから、いま使っているソフトは時代遅れだから、そんな理由でリプレイスして上手く行く訳がない。

それをちゃんと伝えられるベンダーもいない。
自社のパッケージを売ること、現実とはかけ離れた夢を見せる詐欺まがいのことを平気でやってのける。

確かに企業として利益を出さなければならないという命題はある。
しかし、そのために何をすべきか考え直す時期がきたのではないだろうか?

システムは道具であり、企業が業務を運用する中で何かのバリューを生み出さなければ意味はない。

もう、どのソフトを入れるという議論は古いと思う。
何をしたいのか、何を変えたいのか、他社に勝つために、仕事を効率化するために、何を新しい機能として手に入れたいのか?

それが見えればおのずと選ぶべきものは見えてくる。
やらなければならないことははっきりとしてくる。

それを成し遂げることを目標としてはじめて投資に効果が出る。

企業は技術オタクにシステムを任せてはいけない。
パソコンが得意だから、という人に企業のIT戦略を任せることはお金をドブに捨てるようなもの。

そんなことを思う朝。

■Enterprise Searchってどうなんだろう? [Trend]

4年くらい前から、EnterpriseSearchに注目が集まっていました。
いわゆる企業内で保管されているデータを横断的に検索して、
個人の作業の効率をあげようという試みであり、一見、盛り上がるかに見えたのです。。
しかし、実際にはWEBで成果を上げているほど、企業内のデータ検索は成果を挙げているようには見えません。

でも、私は企業内のデータの検索のビジネスはまだまだこれからだと考えています。
それをもっと、活用するためにはいくつか乗り越えなければならない壁があるのでしょう。

たとえば、

日本語という特徴
海外で売れている検索製品が必ずしも優位ではないのは、やはり日本語という特徴があるからだと思う。
でも日本語を十分に理解して検索させようとするとインデックスが増えてしまうという現実問題がまだまだあるのでしょう。

・Googleがすごいという誤解
 私自身も経験したことですが、企業内検索であってもお客様はgoogleでWebを検索するのと同じように機能比較をします。
「なんで、企業内検索ではgoogleみたいにちゃんと必要なものがヒットしないの?」といわれます。
これが大きな落とし穴なんだと気づくのには少し時間がかかりました。
Webの世界でgoogleが出してきた検索結果が正しいかどうかは検索する人にはまったくわかりません。
そもそもWeb上にどれだけ自分が探しているデータがあるかなんて想像もつかないのです。
それなのに私たちはどこかでそれが正しいのだと信じ込んでいるのです。
残念ながら企業内検索ではそうはいかないのです。
なぜなら、ユーザはどこかに自分の探している文書があることをおぼろげながらに知っているからです。
そして、検索をかけたときにその文書が見つからないことにストレスを感じるのです。

・データ構造
なんだかんだ言っても、HTMLは構造化されたデータです。
タイトルや文字の大きさ、メタデータなど分類するのに必要なデータを取得しやすくなっています。
しかもリンクという強力な情報があります。これによってGoogleはそのサイトに重み付けをしているわけです。
それがWordやExcle、PowerPointになったとき、どうやってそれを実現していくのでしょう。
各社がさまざまな手法をとっていますが、まだまだ「これだ!」という域に達していないのではないのでしょうか。

探し物が見つからないという日々の業務の中で、もう少しこの分野が成長したら面白いなと思って、ふわふわと考え中です。
そういう「ふわふわ」としたものを考えているときが一番楽しいのかもしれません。
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■IT投資は会社の利益になっているのか? [Trend]

文具と同じようにパソコンがひとりひとりの机に置かれるのが当たり前の時代になりました。
私自身もパソコンが使えないと手持ち無沙汰だと感じます。

とは言え、これは本当に作業の効率化に繋がっているのかに関しては私は懐疑的な立場です。

なぜなら、一部の特殊な人を除いては与えられたツールを使いこなしていないように見えるからです。
使いこなせない高価なツールを導入することで本当に生産性に寄与しているのかが疑問なのです。
これら投資は企業にとって正しいのか?という疑問に経営する側はたどりついているのではないでしょうか?

コンピューターが世の中に登場してから人々は仕事を効率化させるためにその道具を使ってきました。
画期的なスピードで計算してくれるその機械のおかげで、会計処理が早くなったり、
計算不可能だと思えるような膨大な計算の結果、新しいものが発見されたりした。

そこからコンピューターはただ計算をする箱から企業にとって新しい価値を創造するためのツールへと進化し、
会社の基幹業務を効率化し、チーム(プロジェクト単位)で行う作業を効率化し、
さらにいまはPCを使うすべての個人の作業を効率化しようとしているように見えます。

個人の作業を効率化し、最適化するためには使う人の意識から変える必要があると私は考えていまいます。
意識や行動が変わらずにツールだけがペンや紙から変わっても、使いこなすことができず、
無駄な投資に終わってしまうケースが多いのが現実です。
少しは変化もあるかもしれませんが、少なくとも投資した金額に見合うものではないことのほうが多いでしょう。

ITへの期待が高い分、パソコンを一人一台にしたり、新しいソフトウェアを導入したら、
画期的に生産性があがること、仕事の仕方が変わることを期待してしまうのかもしれません。

すべてはただの道具でしかないのだと認識することから、新しい視点が生まれるのではないでしょうか?
便利な道具も使いこなすことができて初めてその価値が生まれてくるのだと思います。

システムを変えるということは道具(ツール)を変えることではなく、
意識や行動を変えることなのだと私は思っています。

■どのパソコンが一番いいの? [Misc]

友人に新しいパソコンを買いたいので、アドバイスをして欲しいという相談をされて、
実は困ってしまいました。

明確にこれがいいというアドバイスがしにくいからです。

友人はヘビーユーザーではありません。
自宅でインターネットを楽しんだり、Eメールを使ったり、
たまにオフィス系の文書を見たりするようです。

スペースの関係でノートがいいということと予算しか制約はありません。
私は対象になる種類が多すぎて、決定的な選択をする事ができませんでした。
こだわりのない人に標準的な機能を持ったパソコンでどれが一番いいの?と
聞かれても答えようがないのだと痛感しました。

そんな思いを持って家電量販店に行き、面白いことに気づいたのです。
普通の白物家電をみると宣伝文句は機能という分かりやすいものであるのに対して、
パソコンの場合はCPUの性能やメモリ、ハードディスクの容量を示しています。
パソコンで何ができるかということはパソコンの機能ではなく、
ソフトウェアの機能だからなのでしょう。

これが普通の人に分かりづらい理由の1つではないかと思いました。

パソコンで何をするか?
何と何を一緒につかいたいのか?
どんなデータをどのくらい保存するか?
将来に拡張する予定か?

こんなことを一般のユーザーが常に意識していることは稀です。
だからこそアドバイスが難しいのかもしれません。

私は開き直って言おうと思います。

サイズ(デスクトップかノートか)と値段、そしてバンドルされているソフト。
せいぜい気にするのはそのくらいです。
サポートのことを言う人もいますが、私は大きな差はないと思います。

もう一つ上げるとしたら、よく知っている友達が持ってる機種というのもあります。
自分で分からないことを教えてもらいやすいからという単純な理由です。
あとは好きなデザインなり、色で決めればいいのではないのでしょうか?

パソコンが家電なみに分かりやすくなる、そんな時代はやってくるのでしょうか?
私は期待したいのですが。

■便利さの代償 [Misc]

たまたま、今回のプロジェクトのリーダーから出た遅刻するときには
たとえ1分でも会社に連絡をしてほしいという指示に対して私は少し違和感を覚えました。
確かに遅刻はよくないことです。
約束の時間を守れないのは社会人としてどうかと思いますが、
ちょっと待て、本当にそれは正しいのだろうかと違う発想も沸いてきました。

これは、テクノロジーが私たちの生活を窮屈にしたという例なのではないかと思ったのです。

例えば家をでるときにすでに遅刻する事が分かっているケースで
1分遅れで着くということは稀だろうと思います。
電車の事故や遅れ、エレベーターの渋滞のようなささいなアクシデントであることが想像できます。
もし、携帯電話を持っていなければ、連絡をする事の出来ない状況ではないかと思ったのです。
昔でも、1分の遅刻を伝えるために、駅などで公衆電話を探して電話をかけることが必要かと聞かれたら、
私は『NO』と答えると思います。

それぞれが携帯電話を持っている。
それが前提でなされている会話なんだということに気づくとちょっと気持ち悪い感じがしました。

テクノロジーは私たちの生活を便利にするという機能を果たす一方で、
私たちの生活を窮屈にするという側面もあるのでしょう。
また情報をより多く取得できる環境になり、
取捨選択をせずに集めようとする行為に走りがちなのかもしれません。


その1分、本当にそれだけの価値があるかを問いかける必要があるのでしょうね。

特に都心部に住んでいる人はより分単位の時間に敏感なようです。
マクドナルドのようなファーストフードの店では『5分』待つと告げるとメニューを変えるお客さんがいるそうです。
そんな私もすぐに次の電車が来ると分かっていながら、山手線に駆け込むこともあります。

時間に関する意識を自分の価値観でコントロールできたらよいのでしょうが難しいのが現実です。

■『みんな』と『いろいろ』という曖昧な言葉 [Misc]

普段、あまり意識をしないかもしれませんが、仕事の中では、
ある特定の場面でこの言葉が多く使われることがあります。
悪口を言うときだったり、何かに反対するときです。
こころ当たりはありませんか?

例えば『みんながそう言ってるよ』とか『みんながそう思ってるよ』という使い方や、
『いろいろあって実現はむずかしいよね』や『いろいろ忙しくて』という用法で使われます。

もし自分がそれを言われる側だったらその言葉に納得が出来ないはずです。

私はそういうときはっきりと聞くことにしています。
『みんな』って誰ですか?
『いろいろ』を具体的に教えてください、と。

大抵の場合は口にした本人はその問いに答えられません。
きっとその事象を突き詰めて考えていないのでしょう。


私はこの曖昧さは仕事をする上ではとても危険なことだと思っています。
どんな場面でもこの情報では判断や決断を下すことが難しいはずです。
これでは何が問題なのか分からないからです。

どういう立場の人がどんな意見を言っているのか、私は確認します。
また、同じ『やりたくない』という意見であっても理由が異なっている場合は対処が異なるはずです。
それでも質問をすると、釈然としない顔をされたり、
『みんなはみんな』だよと逆ギレされたこともあります。

また、『いろいろ』も同様にやっかいな言葉です。
例えば『いろいろと問題があって』などと言われると、
漠然と問題が山積しているようにも受け取れます。
それ以上、踏み込むことを躊躇するかもしれません。

私は『いろいろを具体的に教えてください』と言うようにするのですが、
実際にいろいろの中には阻害要因にならないものや、
数値に基づいた根拠でないものも含まれていることが多く、
いとも簡単に解決できるケースもよくあるのです。

『みんな』と『いろいろ』は思考を止めてしまう困った言葉なのだと私は受け止めていて、
私自身も少なくともビジネスでは使わないように心がけています。


私たちは『脳』という素晴らしい役割を果たすものをもっと活用してもいいのかもしれません。
曖昧な言葉を使わないことで驚くほど、物事がクリアに見えることがあります。
曖昧さをなくすために必死で情報を得たり、分析するからだと私は感じています。


もちろん、プライベートでは回答に困ったとき、つい『いろいろあるから』なんて
逃げることもあったりするのですけれど。

■私の仕事-インフラシステムの範囲 [Technical]

ここ数年、比較的、大きな規模のインフラのシステムの提案から構築のマネジメントに
かかわる仕事をしてきました。
インフラと聞くと箱の設定をして設置するということをイメージされる方が多いのですが、
乱暴に言うと、業務システムを開発するということ意外はほとんどがインフラの領域として
扱われているのではないかと感じています。

本当は機器を設置して終わりというのがインフラの正しい姿なのかもしれないと思いますし、
技術はその方向に間違いなく進んでいるのですが、現実はそこまで、単純化されていないのが現状です。
ものを作る以外のことは何でもやるというのが私たちの仕事の現状でした。

あるときはスパムメール対策のために製品比較をし、
お客様の環境にぴったりな製品を提案し、構築(設置)することもありますし、
大量に収集されるシステム関連のログを管理する仕組みを提供することもあります。
複数のシステムにひとつのパスワードでログインできる機能
(一般的にはシングルログオンと呼ばれることが多い)を実装することもあります。
ミドルウェア製品をカスタマイズして提供する提案などもしてきました。

システムを構成するためのソフトウェアアプライアンス(専用の機能を提供する機器)
製品は無数にあります。
本当にどれがよいかを判断するのが難しいくらい世の中に溢れています。
それぞれのお客様によって、重視している機能や必要とするレベル、持っている予算
異なっていますから、最適な仕組みを提供しようと考えるとそれぞれの特徴をつかみ、
何と何がどんな風に連携できるかなどということを意識しなければならないのです。

これにはすべてを作ることとは違う難しさがあると思っています。
時間とお金が限りなくあれば、すべてを思い通りに作ることも可能かもしれません。
常に最高の技術を持ったソフトウェア、機器を使えばすべては解決するのかもしれません。
それでも、実際のビジネス環境ではさまざまな制約や前提条件をもとに最良の判断をしていくことが、
妥当な線なのだと私は考えています。

結局はその投資でどれだけの効果が得られるか、
それをしないことでどれだけの損失があるか、
が企業にとってのインパクトだと私は信じています。

ITを導入することが目的にしてしまうと、プロジェクトは迷走してしまうのかもしれません。
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■メールでの情報共有には限界がある [KnowledgeManagement]

7月から新しいプロジェクトで客先に常駐しているのですが、
ここでは主にメールで情報共有をしている模様。
私が作業に入る前にはすでにアドレスを登録してくれていたらしく、
環境設定をした日には100通ものメールが届いていたのにはびっくり。

2003年くらいから、プロジェクト単位で、WEBベースのプロジェクト管理ツールを使い、
そのサイトで情報のやり取りを行い、必要なファイルを保存し、課題の管理なども含めて、
ツールを使ってやることが定着していた私にとってはこれはカルチャーショックです。

もちろん、関連のある人に情報をメールするというのは必要な行為なのだと思いますが、
一日に届くメールのほとんどが直接的に自分の作業に関係していないものだという現実に
愕然としています。
溢れかえる関連性の薄いメールに仕事をする気が失せていきます。

これは情報共有とは言えないと思いました。
重要度が判別できなくて、結局、目を通さないからです。

メールは確かに便利です。
でも、情報共有にはもっと効果的な方法があるはずです。
なぜそう思わないのだろう、と考えたときに、これがここでの普通のことで、
疑問を抱かないからではないかと思いました。
すべての改善はやはり疑問をいだくことから始まるのでしょうね。

習慣を変えることは誰にとっても難しいことです。
しかも新しいものが本当に自分の仕事にとって価値のあるものかを見極めることは、
最初の段階では難しいのでしょう。

グループウェアの導入やナレッジマネジメントの実装を見てきた自分にとっては、
まだまだその世界は浸透していないのだという現実を知るひとつの出来事になりました。

メール、ファイルサーバーの次のレベルの情報共有ができてない会社に、
インパクトを与える使い方を提案する市場はまだまだ残っているのかもしれません。

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